| 新羅が周囲の小国を征服していく4世紀ごろから木槨墓が流行した。そして古代国家の完全な基礎を築き、高句麗·百済と勢力争いをしながら、領土を拡張した4世紀後半から6世紀前半までは積石木槨墓がつくられた。その後6世紀中葉以後から統一新羅時代には石室墓が流行した。木槨墓は木で作った木槨内に遺体を安置した棺が入っているもので、原三国時代後期からつくられた。慶州市内に小山のように聳えている古墳の大部分が木槨墓の一種である積石木槨墓である。この墳墓は地中や地上に木槨を作り、その中に棺と副葬品を入れた後、その上を川原石で覆い、さらに土を厚く被せたものである。その内部から華麗な金冠など多くの遺物が出土する。石室墓は高句麗や百済の影響を受けてつくられた形式で、慶州地方ではおもに外郭地帯の低い丘陵地帯に分布する。 |