原三国というのは西暦紀元前後から300年ごろまでの約3世紀の間をいい、金海時代、三韓時代、部族国家時代、城邑国家時代などの名称で呼ばれてきた。三韓というのは文献にあらわれる馬韓、弁韓、辰韓をいうもので、このうち辰韓·弁韓は洛東江を中心とする嶺南地方に位置してそれぞれ新羅·伽耶の母胎となった。
この時期の文化的特色は青銅器と石器の消滅、各種鉄器の発達と普及、登り窯を利用して以前の無文土器より高い温度で焼成した灰色土器の生産を挙げることが出来る。灰色土器はこの時期に集中的に発見され、硬いものの表面がちょうど瓦の材質に似ており、これを瓦質土器と呼ぶこともある。このような変化は楽浪郡を通じた大陸文化の刺激によるものとみられ、とくに鉄器の生産がいっそう本格化する。したがって洛東江下流の弁韓では鉄を楽浪、帯方、さらに倭(日本)にまで輸出するにいたる。
人々は川辺や低い丘陵に竪穴住居をつくって暮らしながら五穀を栽培して、牛、豚、馬などを飼育し、海に出て貝を採ったり、魚を捕ったりして生活した。遺跡としては貝塚と冶鉄址、住居跡、墳墓などがある。墳墓は支石墓、石棺墓などが消滅し、かわって小型の石槨墓、木棺墓、木槨墓などが新たに出現して流行した。
このような遺跡は慶山造永洞、大邱八達洞、
星州礼山洞、
高霊般雲里
などの地で発見される。
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